1968年生まれ、東京都出身。
86年にフジテレビ系『夕やけニャンニャン』おニャン子クラブのオーディション合格。おニャン子卒業後は、女優・リポーター・講演活動などで活躍。主な出演番組に『キッズ・ウォー』(TBS系)『芸能花舞台』(NHK)『ちぃ散歩』(テレビ朝日系)など。 乳がん闘病を綴った『右胸にありがとう そして さようなら』(光文社)発売中。

公式ブログ
https://lineblog.me/akko1917/

——2017年09月20日に発表された「最新がん統計」によると、女性で最も羅患数が多いのが乳がんで、現在は11人に1人がかかると言われています。それも40歳を境にグンと罹患数が跳ね上がりますね。

私が初めてがん告知を受けたのも42歳の時です。
毎年受けていた自治体の無料検診を多忙のため受けそびれてしまい、代わりに申し込んだ人間ドックで見つかったんです。2011年のことでした。

——兆候などはあったんでしょうか。これまで慢性の病気や大きな病気にかかったことは?

 全くないです。子どもの頃から丈夫だったので、自分はずっと元気だ、大丈夫だと思っていました。自治体の検診も「無料だから」と気軽に行っていたほど。本当に、ごくごく普通の生活をしていました。

——告知のときは、まさか自分が、と。

 人間ドックの結果が「再検査」だったこともびっくりでした。もう一度マンモグラフィーとエコーの検査を受け、さらに注射器でがん細胞を採取する穿刺吸引細胞診(せんしきゅういんさいぼうしん)などを受けて乳がんが確定されたんです。
 告知を受けてもすぐには納得できません。自分のことというより、ドラマのワンシーンを撮影しているような気分でした。がんだと受け入れられたのは、家に着いてからですね。それまでは夢の中にいるような、奇妙な気持ちでした。

——乳がんは検診によって早期発見・早期治療がしやすいですね。おかげで死亡率は消化器系のがんに比べると低い値です。

 私も幸いなことに、最初は1cmにも満たない早期のがんでした。そのときはいきなり乳房を全部取ってしまう全摘手術ではなく、病巣とその周囲の組織だけを切り取る乳房温存手術で済みました。
 とはいえ当時5歳の娘には早い段階で打ち明けましたね。「病気のことを知っておいてほしい。この子なら理解できる」という思いでした。義父が悪性リンパ腫で余命数か月といわれていた頃だったので、がんについてはなんとなくわかっていたようです。打ち明けると、「ママが入院するのはいやだ。ママが死ぬのはいやだ」って、泣いて……。
 夫は自分の父親が悪性リンパ腫にかかった後、私の乳がん発症が続いたため、一度だけ「俺が悪いのかな」とつぶやいていましたが、家で治療についてああしようこうしようと細かく話すことはせず、普通の生活をさせてもらえました。

——闘病しながら家事も普段どおりというのは、大変だったのでは。

 私にとってはそのほうがラクだったかな。むしろ、がん患者の家族が普段と変わらず過ごすほうが難しいと思います。家族が意識して穏やかに暮らしてくれる尊さを実感しました。もし家族ががんになったら、もちろん患者さんの性格などにもよりますが、普段通りの生活を続けて心身ともにニュートラルな状態にしたほうが、次のステップに柔軟に進めるように思います。

——さらにお仕事も続けられたのはどうしてでしょう?週刊誌を通じてご自身のがんを公表したのは闘病後の2015年秋のことでした。

 レギュラー出演している番組もあったので、もし状態が悪化したり、治療などの影響がひどかったりして、周りに迷惑をかけるときがきたら、そのときはやめようと思っていました。でも、それまではできるだけ続けようと。乳がんの再発、再々発があり、結果的には右の乳房を全摘するのですが、仕事を中断して治療に専念するという気持ちは全くなかったですね。今振り返ると、仕事が心の支えになり、仕事をしていたからこそ、元気で頑張れた気もします。かえって闘病中の方が「最近、前よりも明るくなったね」と、言われていたんですよ(笑)。

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